おはこんばんちは!(年がバレますね!)
※「おはよう」と「こんにちは」と「こんばんは」を組み合わせた1日中使える挨拶です(笑)
元は「Dr.スランプアラレちゃん」というアニメです。
あらためまして。「幸せ研究家」のかたつむり母です。
最近切実に感じた幸せ
口内炎の痛みに生活を支配される
かたつむり母はよく口内炎ができます。最近も・・・。
噛んだことが原因のこともあれば、何もしていないのに勝手にできることも・・・。口の中に小さ〜な口内炎ができて・・・ まだその時点では痛くないんだけど、「あ〜、これから大きくなってくるんだろうな・・・。」という嫌な予感・・・。この時点でチョコラBB飲んだり、塩水うがいを頻回にすることで、発症を抑えれることもあるのですが、高い確率で成長していく「口内炎」。大きくなるごとに憂鬱さがまして・・・ピークになると、もう泣きたくなるっ。普段の会話も辛いし、飲食も辛い。「これさえなければっ、これさえなければ幸せなのにい〜〜!!」って毎回思う。何をしていても痛い。まさに口内炎の痛みに生活を支配されている感じ。(大袈裟ではない。)
口内炎からの解放
口内炎が治った時のかたつむり母。
ヒャッハーー!!自由だー!!!
・・・失礼しました・・・。
いや、しかし、本当にこんな感じなんですよ。大袈裟じゃなくて。
「痛くない!ありがとうございます!神様!清く正しく生きて参ります・・・。」
脳内に♪ア〜べ、マリ〜ア〜♪ のメロディーが流れまくります。
当たり前は当たり前でない!
かたつむり母が「北斗の拳の野党」の顔を持っていると言いたいのではありません。
なぜ口内炎が治ったことがこんなに嬉しいのでしょう。皆さんも経験ありませんか?
例えば 骨折をして不自由な生活を余儀なくされて完治した時の開放感。高熱が出て下がった時の安心感、幸福感。元の生活に戻っただけなのに・・・。「普通に生活ができることがありがたい。」と感じることありますよね。「当たり前が当たり前でなかったこと」に気づく瞬間です。
私たちの日常には「便利」「快適」が溢れています。私たちはそれに慣れきって日々を過ごしています。
蛇口をひねるとすぐに綺麗な水が出てくる。
スイッチひとつでお湯が沸く。
スイッチひとつで電気がつく。
暑さ、寒さもスイッチひとつで快適に。
冷蔵庫で食料の保存もできるし、レンジで温めることもできる。
好きな音楽や映画はサブスクサービスを利用すれば聴き放題、見放題。
わからない事は指先ひとつで調べることができる時代。
昔の貴族や王様がいくら望んでもできなかった事が庶民の私たちが当たり前に簡単にできてしまう世の中になりました。
アイスクリームの歌詞を思い出してしまいました。
アイスクリームの歌
♪おとぎ話の王子でも、昔はとっても食べられない♪
♪アイスクリーム アイスクリーム♪
ぼくは王子ではないけれど
アイスクリームを召し上がる
本当に私たちは、昔の王様も羨む暮らしをしていますね!
かたつむり母の子供時代から比べても本当に夢のような世の中になっています。半世紀も昔ではないですよ。
このような恩恵が受けれれるのも、先人達の血の滲むような努力の積み重ねがあったからですよね!
日常の当たり前が当たり前じゃなくなった時
そんな便利な毎日に慣れきってしまっている私たち。
当たり前が当たり前でなくなったら・・・。
wi-fiの調子がちょっと悪いだけでイライラしたり・・・
洗濯機のエラーが出たくらいでイライラしたり・・・
バスが少し遅れただけでイライラ・・・。
だって便利が当たり前だから。便利になればなるほど愚痴が増えていくのはおかしな話ですよね。
外国の子供が命懸けで何時間もかけて山や湖を越えて登校しているドキュメンタリーを見ると、考えさせられます。
「当たり前」を「ありがとう」に変えてみよう
人間というものは慣れてしまう動物です。
便利さや豊かさにすぐに慣れてしまう私たち。きっと豪邸に住んで、高級外車を乗り回し、働かず毎日ご馳走を食べる生活を送ることができたとしても、いずれは慣れきってしまい、ありがたく感じなくなるのでしょう。
「当たり前は当たり前」でないのです。今ここにある物全ては当たり前ではない。物だけではなく、家族も環境も。全て当たり前でない。
「当たり前」を「ありがとう」に変えるだけで、とても幸せになれる気がするかたつむり母です。